
こんにちは。町田の隣、古淵駅の古淵かえる整体院整体院にて発達支援のためのセッションをしています。フェルデンクライスプラクティショナーの田崎です。
4月に入り、新しいスタートを切る人達も多いと思います。このご時世、色々大変な中ではありますが、希望を胸に歩んで行きたいですね。ただ、環境の変化は心身に大きなストレスとなりますので、くれぐれも無理のないように。身体や心に疲れを感じたら、早めに休みを取るようにしましょう。
さて、当院では発達に凸凹のある方のための、発達支援コースを設けていますが、そもそも発達の凸凹ってどういう事でしょうか。いわゆる平均的ではない。一般的な人たちとはちょっと違う。という事でしょうか。
おそらく、発達の凸凹で問題となってくるのは、平均の枠からはみ出した部分で、幼稚園や学校、会社など、集団行動が求められる場で本人や周囲の人たちが困る場面が起きてきた時ではないでしょうか。
ここ数年、発達障害という言葉をよく耳にするようになってきました。知的に目立った遅れはなくとも、集団行動がとれなかったり、コミュニケーションが苦手でトラブルを起こしやすかったり、片付けが苦手だったりという特徴のある場合が多く見受けられます。
集団の中ではなかなか過ごしづらい面があるために、一般的な人よりも劣った存在と位置付けられているように思いますが、果たして本当にそうでしょうか。
発達に凸凹のある人たちは、劣っている面がある代わりに、平均的な人たちにはない、大変優れた才能を持っている場合が多いのです。ですから、こういう人たちを劣った存在とするのも、差別するのも間違った認識に他ならないと思います。
本来ならば、人間だけでなく、生き物はその個体ひとつひとつに個性があって然りで、だからこそ面白いし、時々発生する変わった個体があるからこそ、進化してきたのではないかと思うのです。
天才科学者と言われたアインシュタインや、エジソン、そして、ナポレオンや織田信長、坂本龍馬も発達障害だったのではないかと言われています。
私たちの、便利で安全な現代の生活があるのも、発達に凸凹があった天才たちがいてくれたお陰だったのではないでしょうか。
知り合いの方に聞いた、小学校3年生の女の子の言葉が印象に残っています。「うちのクラスには3人くらい障害のある子がいるの。担任の先生は、いつもその子たちを叱って、普通に普通にさせようとするけど、私はそれが良いとは思わないんだ。だって、その子たちには、その子たちの得意なことがあるんだからさ、そこを認めてあげたら良いと思うんだよね」
「障害がある子」という言葉を使っていることにも驚きますが、(おそらく周囲の大人がそう言っているのでしょう)子どものピュアな目線と、分析力にはっとさせられます。
発達凸凹の子どもたちに関わる周囲の大人たちは平均の枠からはみ出したことでレッテルを貼るのではなく、個性を認めて、困っている部分には手を差し伸べ、才能を認めて伸ばしてゆくことが大切です。私も及ばずながら、そのお手伝いが出来たら、こんなに嬉しいことはありません。
障害のあるなしに関わらず、ひとりひとりの才能を花開かせるという専門性が、私たちフェルデンクライスプラクティショナーの役割だと思っています。
発達の凸凹は未知の可能性を秘めている。私は本当にそう確信しています。
発達サポート、ご相談下さい♪
