フェルデンクライス・プラクティショナー、メディカルカイロプラクター
古淵かえる整体院のかえる院長です♪
※この記事は、以前アメブロに掲載したものを、転載したものです。
ここ最近、新規の予約は、こどもばかりですね。
大人はほんのわずかしかいないです。
当院が「からだケアルーム クオリア」であった頃は、1年に数人来るか来ないかというほどでしたので、今の状況は本当に驚いています。。。
こどもの発達支援コースがあったり、かえるという名前のイメージ的に、こどもに強そう、通いやすそうなイメージになったのかも知れませんね♪
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先日、院長の友人で、中学校で演劇を指導している俳優さんと、久しぶりに会って、興味深いお話を聞くことが出来ました。
彼女は長年、都内の中学で外部指導員として、演劇の指導をしています。
彼女が気づいたのは、演劇部に入ってくる生徒のほとんどが、発達に何かありそうなグレーな子ばかりなんだそうです。
何故だかわからないけど、とにかくグレーな子ばかり入部してくると。(まぁ、彼女も院長も、しょーじき似たようなもんですけど。。。)
指導していると、登場人物の気持ちがわからない人ばかりなんだとか。
言い切って良いかどうかはわかりませんが、発達凸凹さんって、客観的な視点がない場合が多いように思います。自分がどのように見られているかとか、第三者の視点に立つということが難しい。ゆえに、「恥」や「敬」の概念が乏しかったりするかも知れませんね。
迷惑系YouTuberとか、迷惑な撮り鉄とか、政治をおもちゃにしている連中などは、ほぼほぼ、発達凸凹なんじゃないかと思います。だって、恥を知っていたら、あんなこと出来ないでしょ?
相手の気持ちを慮ることが難しいので、どうしても自分の「欲」だけで突っ走ってしまいがちですし、コミュニケーションや感情表現も一方通行になりがちです。
演劇では、他の誰かになりきらなくてはなりません。
「この場面で、この人はどういう気持ちになる?あなただったらどんな気持ちになる?」
「ここではどう思う?」
そんな地道な突き合わせを一つ一つしながら、舞台を作っていくそう。
この地道な作業を続けることによって、ものの見方が主観的にしか捉えられなかった子が、客観的に多角的に物事を見られるようになってきて、卒業を迎える頃には、相手の気持ちもわかるような子に成長するんだとか。
演劇は発達グレーの子には、割りとおススメですよー♪
というお話でした。
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なるほどねー。
演劇だったり、ごっこ遊びだったり、何かになりきるっていうのは、色んな人の視点を考えたり、感じたりすることが出来るから、客観的な視点を養う意味でも、コミュニケーションをスムーズにする意味でも、とても役に立ちそうですね。(行間だったり、言葉の裏にある意味も、読み取れるようになるでしょうしね。本音と建て前みたいなものもね。)
もちろん、演劇に興味のない人に無理矢理やらせたところで、伸びることはないでしょうけどね。(←ココ重要)
人は様々な場面で、自分を演じながら生きていますよね。
会社では、課長。家では、パパ。昔馴染みからは、●●ちゃん。というように。。。
環境が変われば、自分もそれに合わせていくわけです。
課長らしく振舞わなきゃとか、優しいパパにならなきゃとか、無意識に自分を変えているわけですよ。
演劇っていうのは、確かに、自分を社会に適応させるための訓練には良いんだろうなぁと、思ったのでした。
環境に適応する能力が著しく乏しいと、社会で生きていく上で、生きづらくなりますからね。
適応するオプションをいくつも持っていたいですね。
というわけで、また。